和歌山信愛⼤学
教授  ⼤橋 功

この度、⽊代喜司先生の後を受け、全国幼年美術の会の会⻑に就任いたしました⼤橋功です。正直、私が会⻑をお引き受けするなど夢にも思っていませんでした。そもそも、私なんぞが軽々と引き受けられるような会ではありません。にもかかわらず、この度就任させていただきましたのには、いくつかのご縁を感じてのことでもあります。
ご存知の通り、本会は、昭和38年、初代会⻑の岡⽥清先生をはじめ松井清人先生、藤瀬敬先生、曽根靖雅先生、⻄⽥秀雄先生ら、蒼々たるメンバーによって創設されました。同年11月には会誌『幼年美術』第1号が創刊されています。その昭和38年に私は、後に岡⽥先生が園⻑を務められた⾐笠幼稚園に入園しました。そして、私たち新入園児とともに新任教員として赴任されたのが、余⽥淑子先生でした。余⽥先生は、京都幼美の中⼼として、⻑年にわたり全国幼年美術の会を支えてこられた奥山淑子先生であることを後に知り驚きました。
おそらく、現在の私が今、こうして美術教育の世界で生活させていただいている、その原点には岡⽥先生をはじめとした先輩方が先導されてきた京都の美術教育、つまり幼年美術の教育理念があったからなのでしょう。昭和56年に京都教育⼤学を卒業し、⼤阪市⽴淡路中学校を⽪切りにスタートした美術教師の歩みの中で、目の前の子供が美術を通して育つとはどういうことなのか、そのために何が必要で、何が不必要なのか、そのことばかりを⾒つめて今日に⾄ります。その道程で出会ったのが幼年美術でした。おかげで、今ようやく、少しばかりのことが解りはじめたところです。
はっきり言えることは、子供が子供の時間を生きることを私たちが邪魔をしてはいけないのだ、ということです。私たちを取り巻く霧は先輩たちの努⼒のお陰で随分と晴れ渡ってきました。しかし、まだまだ、みなさんと共に、実践を通して、さらなる⾒晴らしを求めて探究していきたいと思います。