幼美つれづれ草 −第6回− 手を通して見いだされるもの


読者のみなさんは、無性に土がいじりたくなったり、家族や動物にふれたくなったりすることはないでしょうか。コロナ禍でオンラインでの研修や授業が多くなりはじめた頃、私にはそういう時期がありました。オンラインはとても便利ですが、まなざしばかりが優位になり、手や体は置いてけぼりにされているような感じがあります。

でも、ひとたび、保育現場におもむくと、子どもたちと身の回りのものとのあいだに広がる触覚の世界に満たされます。雨上がりの次の日、誘われるように水たまりに手を差し入れる姿。紙が配られた瞬間、紙の表面を撫でたり頬ずりしたりする姿。

美学や現代アートを専門とする哲学者の伊藤亜紗さんは、幼児教育の父フレーベルの一節にふれながら、「目を通して出会う石」と「手を通して出会う石」は違うといいます。身の回りのものを見て、見た目で、あれはこういうものだと理解することと、身の回りのものに手でふれ、それを実際に動かしながら、その性質を理解していくことは出会い方が違うのだということです。フレーベルは、子どもがこうして手を通して出会う過程を大切にしました。

フレーベルにおいては、手を通して物の性質を知っていくことが「自分自身を知ること」へと折り返されていきます。目で見ているだけではわからない「手を通して出会う石」と「手を通して出会う私」があるのだ、といいます(伊藤,2020, pp.28-30)。

子どもが身の回りの物と夢中でふれあっているとき、私たちの考える「その子らしさ」を超えたところにある、意外なその子と出会えているように思うことがあります。その子自身も初めて出会ったかもしれない物の意外な性質と自分の意外な性質。

伊藤亜紗さんはまた、多様性といったとき、人と人の違いという意味での多様性よりも、1人の人のなかにある無限の多様性が重要だとも述べています(同上,pp.48-49)。アートは、視覚や言葉で見えやすい部分だけではなく、触覚など別の感覚を通して、ものや人の異質な一面と、1人の人の中にある無限の多様性を見せてくれます。子どもにとってのアートの可能性を探りつづけたいと思います。

 

引用文献

伊藤亜紗『手の倫理』講談社、2020年

プロフィール

佐川 早季子(さがわ さきこ)

京都教育大学教育学部 准教授。
全国幼年美術の会 監事。
一人目の子どもを生み育ててから、どうしても子どもに関わる研究がしたくなり、大学院に入り直し、幼児の造形表現について保育現場に通って研究し、今に至る。母親であり研究者であり大学教員。

著書に『他者との相互作用を通した幼児の造形表現プロセスの検討』(風間書房)、共訳書に『GIFTS FROM THE CHILDREN 子どもたちからの贈りもの−レッジョ・エミリアの哲学に基づく保育実践』(萌文書林)などがある。